SNSでの発信は節度を失っているのではないか?

SNSでの発信は節度を失っているのではないか?

最近のSNSを見ていると、「ここまで見せる必要があるのか」「ここまで言う必要があるのか」と感じる場面が増えています。

もちろん、SNSはテレビよりも自由な発信の場です。個人が直接意見を言えることにも価値があります。ただ、その自由さが行き過ぎると、単なる本音や問題提起ではなく、人の尊厳を軽く扱ったり、他者への攻撃をコンテンツ化したりする方向へ進んでしまうことがあります。

今回考えたいのは、最近のSNSには節度がないのか、それともテレビなどの既存メディアとは違う場所として、このくらいの荒さも含めて受け止めるべきなのかという点です。

直近で違和感を抱いた2つの内容

最近SNSや動画プラットフォームで話題になった2つの出来事をもとに考えてみます。どちらも内容は異なりますが、共通しているのは「発信する側が、見られることの影響をどこまで考えていたのか」という点です。

SNSで拡散されたシャンパンタワー

5月初旬の大型連休中、X上でいわゆる人間シャンパンタワーの動画が拡散されました。

女性たちが人間のピラミッドのような状態になり、その上からシャンパンをかけるという内容で、後に関係者が動画は本物だと認めています。

この件でまず問題だと感じるのは、こうした動画をSNSに上げる感覚そのものです。当事者間で合意があったのか、金銭のやり取りがあったのか、貸し切りの場だったのか。そうした事情はあるにしても、外から見れば、人の尊厳を軽く扱っているように見える内容です。それを、あえて不特定多数が見るSNSに出してしまう。ここに一番の違和感があります。

内輪の悪ノリで済むと思っていたのかもしれません。しかし、SNSに投稿した瞬間、それは内輪の出来事ではなくなります。見たくない人の目にも入りますし、関係者の人生や仕事にも影響が出ます。そもそも、社会に向けて公開するべきものなのかという判断が必要だったはずです。

SNSの問題は、叩きが起きることだけではありません。むしろその前に、「叩かれて当然のような刺激物を、自ら公共の場に置いてしまう感覚」が問われるべきだと思います。

YouTubeヒカルの芸能人への噛みつき

発端としては、ヒカルさんがタモリさんについて「面白くない」と発言したことがあり、その後、ナインティナインの岡村隆史さんがラジオでYouTuberの話芸について触れたことで、さらに対立的な流れになりました。

その中でヒカルさんは、岡村さんに対して「最近つまらない」「メンタル弱そう」といった言葉を使い、再び物議を醸しました。ここで考えたいのは、YouTubeで誰かを批判することの扱いです。

もちろん、誰かの芸や発言に意見を言うこと自体は自由です。テレビタレントがYouTuberを批評することもあれば、YouTuberがテレビ芸能人に反論することもあるでしょう。メディアが違うだけで、表現者同士が意見をぶつけることはあっていいと思います。

ただ、YouTubeの場合、その批判がそのままコンテンツになります。強い言葉を使えば再生され、対立構造ができれば話題になります。つまり、批判が意見ではなく、数字を取るための見せ物になりやすいのです。

今回も、タモリさんへの発言から始まり、岡村さんへの批判へと広がっていきました。個人の感想や意見として語る範囲を超えて、誰かに噛みつくこと自体が企画化しているようにも見えます。ここに、SNSやYouTube時代ならではの危うさがあります。

SNSは自由だが、公共のメディアでもある

SNSは自由だが、公共のメディアでもある

SNSやYouTubeは、テレビに比べて個人の自由度が高い場所です。だからこそ、テレビでは言いにくいことを言えるし、既存メディアに対するカウンターにもなります。

しかし、自由であることと、何を出してもよいことは違います。人の尊厳を軽く扱うような動画を出す。誰かを攻撃する発言で再生数を取る。内輪のノリを公共の場に持ち込む。こうした行為は、たとえテレビではなくSNSであっても、見られ方や影響を考える必要があります。

むしろ、テレビのような編集チェックや放送倫理の仕組みがない分、発信者本人の節度がより強く問われるのではないでしょうか。

テレビとの明確な線引きなのか

SNSやYouTubeの荒さは、テレビとの違いでもあります。テレビはスポンサー、放送倫理、局の責任、出演者のイメージなど、さまざまな制約の中で作られています。そのため、表現はどうしても整えられます。

逆にSNSやYouTubeは、個人の言葉や行動がそのまま表に出やすい。この違いがあるからこそ、SNSにはテレビにない生々しさやスピード感があります。そこに魅力を感じる人がいるのも事実です。

ただし、テレビではできないことをSNSでやる、という発想が「テレビでは許されないことをやってもいい」に変わると危険です。メディアが違っても、人を傷つけたり、尊厳を軽んじたりする内容まで正当化されるわけではありません。

問題は炎上ではなく、発信前の判断ではないか?

最近のSNSを見ていて感じるのは、炎上した後の謝罪や説明よりも、発信前の判断が弱いということです。これは投稿していいものなのか。誰かを不必要に傷つけないか。自分の影響力で拡散されたとき、何が起きるのか。この想像力が抜け落ちたまま、刺激の強いものが公開されているように見えます。

SNSはすぐに反応が返ってくるため、発信者は「何が伸びるか」に意識が向きやすくなります。しかし、本来考えるべきなのは「何が伸びるか」だけではなく、「何を出すべきではないか」ではないでしょうか。

著者:編集部