8月6日の「原爆の日」、高市早苗首相は広島市で行われた平和記念式典に参列しました。式典では献花と黙とうを行い、首相として挨拶。その後も平和記念資料館を視察し、被爆者7団体の代表者から要望を聞く会に出席したほか、記者会見、原爆養護ホームの慰問などの日程をこなしています。

その一方で、広島での日程を終えた後、東京都内の歯科医院を受診したことが首相動静などを通じて報じられ、「原爆の日に歯医者」という部分が注目されました。

これに対してSNSでは、「なぜこの日に歯医者へ行くのか」と疑問視する意見が出る一方、「式典には出席している」「医療機関を受診しただけで批判するのはおかしい」「印象を悪くするための切り取りではないか」と、報道する側への批判も広がりました。

私は今回の話を見て、歯科医院へ行ったこと自体よりも、政治家の行動をどのような文脈で伝えるのかの方が気になりました。

8月6日に高市首相が何をしていたのか

「原爆の日に歯医者へ行った」という情報だけを見るのと、一日の行動を見るのとでは、かなり印象が変わります。高市首相は8月6日、広島市の平和記念公園で行われた平和記念式典に出席しています。午前8時15分には参列者とともに黙とうし、その後の挨拶では原爆犠牲者への哀悼を表明しました。

さらに、式典が終わった後には

  • 平和記念資料館を視察
  • 被爆者7団体の代表から要望を聞く
  • 広島市内で記者会見
  • 原爆養護ホームを訪問して入園者を慰問

といった日程をこなしています。

会見でも、非核三原則や核兵器禁止条約などについて記者から質問を受け、政府として非核三原則を政策上の方針として堅持する考えなどを説明しました。

これだけを見る限り、少なくとも「原爆の日の公務を放り出して歯医者へ行った」という話ではありません。ここは前提として押さえておく必要があります。

「原爆の日に歯医者」という言葉だけでは印象が変わる

「8月6日、高市首相が歯科医院を受診した」これは事実であれば、それ自体を首相動静として報じることに問題はありません。しかし、「原爆の日に歯医者へ行った」と表現すると、少し意味合いが変わります。「原爆の日なのに」というニュアンスが生まれるからです。

実際には広島で式典に参列し、資料館を視察し、被爆者から話を聞き、原爆養護ホームまで訪問しています。それらの日程を終えた後に歯科医院へ行ったのであれば、歯科受診そのものから政治的な姿勢を判断するのは難しいでしょう。

政治家の行動を批判するのであれば、公務を欠席した、予定を途中で切り上げた、必要な対応をしなかったなど、政治家としての責任と結びつく事実が必要だと思います。単に「その日に歯医者へ行った」というだけでは、批判する材料としては弱く感じます。

首相動静を報じること自体には意味がある

「そんなことまで報道する必要があるのか」という意見については、少し分けて考えたいところです。

首相動静そのものには意味があります。一国の首相が誰と会い、どこへ行き、どのような時間の使い方をしているのかは、公人として一定程度公開されるべき情報でしょう。歯科医院や美容院などへの訪問が記載されることも珍しいことではありません。

ここで問題にしたいのは、情報が公開されることではありません。その情報をどう料理するのかです。首相動静に「歯科医院」と書いてある。それをそのまま伝えることと、「原爆の日なのに歯医者」と政治姿勢を疑わせる材料として扱うことには、大きな違いがあります。

事実を並べるだけでも「偏り」は生まれる

偏向報道というと、事実ではないことを伝える行為を想像しがちです。しかし、報道による印象は嘘を書かなくても変えられます。10個の事実があったとして、どの3個を取り上げるのか。タイトルに何を持ってくるのか。何を大きく扱い、何を一文だけで済ませるのか。それだけでも受け手の印象は大きく変わります。

今回であれば、高市首相が平和記念式典に出席したことも、被爆者から要望を聞いたことも、原爆養護ホームを慰問したことも事実です。そして、その後に歯科医院を受診したのであれば、それも事実です。

問題は、その中から歯科受診だけを強く取り上げたときに、何を読者へ伝える記事になるのかということです。事実だから何をどう見せても中立、とは言えないでしょう。

「高市首相への批判はすべて偏向報道」でもない

SNSでは今回のような報道が出ると、すぐに「マスコミによる高市叩きだ」「偏向報道だ」といった反応も出てきます。しかし、それも結論を急ぎすぎだと思います。

政治家、とりわけ首相の行動をメディアが細かくチェックすることは必要です。政府にとって都合の悪いことでも報道する。首相の言動に疑問があれば追及する。それは報道機関が担う役割の一つでしょう。

高市首相を支持しているかどうかによって、「批判的な記事=偏向報道」と判断するようになれば、それもまた情報を公平に見る姿勢から離れてしまいます。今回考えるべきなのは、高市首相に好意的か批判的かではありません。その情報にニュースとしてどの程度の意味があるのか、そして見出しや構成が事実以上の印象を作っていないかです。

SNS時代だからこそ「全文脈」を見る必要がある

現在はニュースの見出しだけがSNSで拡散されます。「原爆の日に歯医者」という強い言葉だけを見れば、「そんな日に何をしているんだ」と感じる人もいるでしょう。反対に、高市首相を支持する人だけが集まるSNS空間では、「またマスコミが捏造している」と反射的に報道側を批判する流れも起こります。どちらも少し危険です。

今回なら、首相官邸が8月6日の行動を公開しています。式典への参列から資料館視察、被爆者との面会、会見、原爆養護ホームへの慰問まで確認できます。一次情報を数分確認するだけでも、見出しだけから受ける印象とは違った景色が見えてきます。ニュースを見る側にも、「その前後に何があったのか」を一度確認する習慣が必要になっているのでしょう。

政治家の評価は「歯医者へ行ったか」ではなく政治で判断したい

今回の件を見て最終的に感じるのは、政治家を評価する材料はもっとほかにあるだろう、ということです。

高市首相が8月6日にどのような挨拶をしたのか。被爆者からの要望に政府としてどう応えるのか。非核三原則や核兵器禁止条約についてどのような政策を取るのか。実際、当日の記者会見では、こうした具体的な質問が行われています。こちらの方が、首相を評価するうえでははるかに意味があります。歯科医院を受診したことまで首相動静として記録する。それは構いません。

ただ、それを「原爆の日」という言葉と組み合わせ、あたかも政治家として不適切な行動だったかのような印象を作るのであれば、本当にそこまでのニュース価値があるのかは考えた方がよいでしょう。

報道の偏りは、必ずしも嘘によって生まれるわけではありません。何を選び、どこを切り取り、どの言葉と組み合わせるのか。今回の「原爆の日・歯科受診」をめぐる議論は、政治家を見る目だけではなく、ニュースがどのように私たちの印象を作っているのかを考える機会にもなるのではないでしょうか。