2026年9月2日に放送されたTBS系『水曜日のダウンタウン』の企画「国道ラーメンマラソン4」が物議を醸しています。
今回の企画は、環状八号線沿い約20kmを走りながら、ラーメン店の前を通るたびにチームで1杯を食べなければならないというもの。
みなみかわさん・きしたかの高野正成さん組と、モグライダーともしげさん・や団中嶋享さん組が挑戦しました。
TBSも「超過酷企画」と紹介しており、最終的には両チームとも開始から9時間48分でゴールしています。
その途中、すでに多くのラーメンなどを食べていたみなみかわさんが嘔吐。番組では、その様子だけでなく、地面に広がった嘔吐物も一部そのまま放送されました。
これに対してSNSでは、「モザイクくらいかけてほしい」「食事中に見たくない」といった批判が出た一方、「これぞ水ダウ」「最近のテレビにはない攻め方」と評価する声も上がっています。
コンプライアンスへの配慮が強く求められる現在のテレビで、どこまで攻めればいいのか。
今回の問題は、「過激な企画をやめるべきか」という話とは少し違うように感じます。
過酷な企画自体はあって良い
今回の批判を受けて、「こんな企画を地上波でやるべきではない」というところまで話を広げる必要はないと思います。
『水曜日のダウンタウン』の面白さの一つは、他の番組なら企画段階で避けそうなことを実際に検証するところにあります。
そもそも「走りながらラーメンを食べ続けたらどうなるのか」という無茶な企画だからこそ、出演者が苦しむ姿も含めて笑いになるのでしょう。
何でも「危ない」「不快」という理由でなくしてしまえば、バラエティーはどんどん似た番組ばかりになってしまいます。
最近のテレビに対して「昔より面白くなくなった」「コンプライアンスを気にしすぎている」という声が出るのも、その部分でしょう。
攻めた企画を続ける番組があっていいと思います。
ただ、攻めた企画をすることと、嘔吐物をそのまま見せることは別の話です。
モザイクをかけても企画の面白さは変わらなかったのでは?
今回、個人的に最も疑問なのはここです。
嘔吐シーンにモザイクや従来のテレビで使われてきたエフェクトを入れたとして、ラーメンマラソンという企画の面白さは失われたでしょうか。
おそらく、ほとんど変わらなかったと思います。
みなみかわさんが限界を迎えて吐いてしまった。高野さんがそれを見て笑う。スタジオでも出演者が驚く。
そこまでで、企画の過酷さも面白さも十分に伝わっています。
嘔吐物そのものをはっきり見せなければ成立しない笑いではありません。
むしろ番組内でも「何の処理もしてへん」「キラキラつけろや」といった反応が出ているのであれば、そこに映像処理を入れておけば、それ自体が笑いにもできたはずです。
日本民間放送連盟の放送基準でも、「放送時間に応じて視聴者の生活状態を考慮し、不快な感じを与えないようにする」と定められています。
午後10時台とはいえ、食事をしながらテレビを見る人もいます。
そう考えると、今回は企画が攻めすぎたというより、編集で残す必要のない不快さまで残してしまったことの方が気になります。
「見たくないなら見るな」ではない
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批判に対して「嫌なら見るな」という意見もあります。
確かに『水曜日のダウンタウン』は、もともとかなり攻めた企画を放送してきた番組です。
番組の作風を知っている視聴者であれば、ある程度の過激さは予想できます。
ただ、「見たくないなら見るな」だけで終わらせるのも少し乱暴でしょう。
NetflixやYouTubeで自ら作品を選んで再生するのとは違い、地上波テレビはチャンネルをつけていれば偶然その映像を見ることがあります。
しかも今回問題になったのは、「ラーメンを食べながらマラソンをする」という企画そのものではありません。
視聴者が事前に「今日は嘔吐物がそのまま映ります」と認識して見る番組でもありませんでした。
番組を選んで見る自由があるのと同じように、放送する側にも「どこまで見せる必要があるのか」を判断する余地があります。
その判断まで「嫌なら見るな」で済ませてしまえば、地上波における表現上の配慮そのものが成立しなくなってしまいます。
「吐いたからラーメン店に失礼」は別の話
今回の批判では、「せっかく店が作ったラーメンを吐くのは失礼」「食べ物を粗末にしている」といった意見も出ています。
ここについては、個人的には少し分けて考えたいところです。
もちろん、食べきれない量を無理に食べさせる企画について、店側がどう感じるかという議論はあっていいでしょう。
実際、企画に登場したラーメン店の一つも取材に対し、企画そのものには一定の理解を示しながら、「吐くまでやらせるのはどうかと思う」と話しています。
ただ、みなみかわさん自身が意図的にラーメンを粗末にしたわけではありません。
身体が限界を迎えて吐いてしまったのであれば、それだけを切り取って「料理へのリスペクトがない」とするのは違うでしょう。
むしろ考えるべきなのは、出演者がそこまで追い込まれる企画を、どのような安全管理のもとで実施するのかです。
企画を面白くするために無理をすることと、出演者の身体に深刻な負担をかけることの境界は、嘔吐物の映像以上に考える必要があります。
『水ダウ』には攻め続けてほしい。でも「何でも見せる=攻め」ではない
今回の放送を受けて、『水曜日のダウンタウン』まで無難な番組になってほしいとは思いません。
むしろコンプライアンスを意識するあまり、テレビから無茶な企画やくだらない笑いがなくなっていく方が寂しい。
ラーメンマラソンのような「誰がこんなこと考えたんだ」と思う企画を本当にやってしまうのは、この番組らしさでしょう。
ただし、攻めたテレビと配慮のないテレビは同じではありません。
芸人が限界を迎えて吐いてしまうところまで放送する。
そこまでは企画のリアルとして必要だったのかもしれません。
しかし、嘔吐物そのものまで処理せずに見せる必要があったのかと聞かれれば、疑問が残ります。
モザイクを一つかけたところで、『水ダウ』らしさが失われるとは思えません。
むしろ、「どこまで攻めるか」だけではなく、「どこはあえて見せないか」を判断することも、テレビの演出なのではないでしょうか。
今回の騒動は、テレビが面白くなくならないためにも必要な「攻め」と「不快」の線引きを考えるきっかけになったのかもしれません。
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